2011/03/12

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長い一夜

category - 3nyan's Photograph
2011/ 03/ 12
                 

11日は夜勤の入りの日。
さあ、そろそろ出かけるか・・・って思った時、揺れが始りました。
最初は、「ああ、地震だ。嫌だなぁ・・・」って思える程度だったのですが、長い。やけに長く揺れている。
そのうち、揺れはドンドン大きくなっていって、棚の上のものが落ちたり、倒れたり。

何が起きたのか分からない3にゃんは、その場で固まったまま。
「早く、コタツに潜りな!!!」って私の叫びが通じたのか、次々とコタツに潜り込みました。
私は、揺れが収まるまで、逃げ道の確保をして待機。
随分長い間、揺れていたような気がします。

3にゃんに、「しばらくコタツの中にいるんだよ。出てきた後また揺れたら、潜るんだよ」と、とりあえず言い聞かせ、後ろ髪惹かれる思いで出かけたのですが・・・。

電車は止まっている。携帯は全く通じなくて、職場に連絡も取れない。
バスも、職場に行くには乗り継がないと行けないので、でも、その乗り継ぎが分からないし、道路も混乱し始めている。
何とか、空車のタクシーに乗り込んで、職場へ向かう頃には、お店の電気も消えていて、信号も点いていませんでした。停電です。

ようやく職場についても、停電していて、ロッカー室は真っ暗。手探りで着替え、フロアーに上がっていくと、昼間の勤務帯の職員さんと、ご利用者が非常灯と窓からの光のみの薄暗い中で集まっていました。
「ああ、来たよ!!!」と、なぜか拍手されてしまった。
来ることができない夜勤者さんもいるようです。

夕方になっても、停電は続き、厨房の人たちがなんとか用意してくれた夕食をご利用者に提供し(地下から階段で運びました)全員を寝かし、今夜は非常事態なのでいつもの倍の人数で対応しようかって話をしたり、歩いて帰るのは大変だから泊まろうかなぁ・・・なんて話している職員さんもいて、みんなでおむつ交換をしたり、就寝薬の与薬をしたり、懐中電灯のあかりと非常灯を頼りの作業。でも、みんなが居てくれたので、心細くはなかったです。

21時少し前に、フロアーの電気が一斉についたときは、本当にうれしかった。

取りあえず、夜勤者のみを残して、他の職員さんたちは帰宅することになりました。
でも、途中まで車で行ったものの、道が渋滞してしまって歩きになり、遅い人では深夜の1時に、ようやく帰宅できたのだそうです。
そんな中、課長が夜食の差し入れに来てくれたり、係長が残って、あちこちのフロアーを回ってくれたり、助かりました。嬉しかった。

私のいるフロアーは、みんな落ち着いて寝てくれたから良かったのですが、昨年10月までいた認知フロアーは大変でした。興奮しちゃって、寝ない人が続出。
私も、途中で仮眠の職員さんと交代していたのですが、色々話したり、トイレに連れていったりしながら、何とか寝てもらおうとしたけどだめだった。朝まで、起きていたようです。

夜間も余震は何度かありました。
でも、朝になって、早出の職員さんから「電車、ダイヤはめちゃくちゃだけど動いているよ」と聞いてホッとしました。

いつもなら夜勤明けは食料の買い物をして帰るのですが、今日は自宅に最寄りの駅まで兎に角帰ってきて、コンビニに寄ったのみ。でも、パン類は売り切れなのか、新しい商品が届かないのか、全部無くなっていて、うちに一番近いお店で、ロールパンを一袋買うことができました。これ、大事に食べよう。

心配だった3にゃん。アパートの外から見上げると、いつも通り、出窓で日向ぼっこをしていました。
部屋の中も、最初の揺れで倒れたり落ちたりしたものを片付けてから出かけたので、全然平気。電気もガスも水道も問題なく使えます。

まだ、余震があって、不安ではありますが、こうして無事ブログも書けるのだから。
東北の方では、どうにもならない状況になっている人たちや、安否が確認できない人たちも、そして、亡くなられた方々もいらっしゃる。
どうか、どうか、無事でいてください。
亡くなられた方々の、ご冥福をお祈りさせていただきます。

ご心配いだだいて、ありがとうございました。
我が家は、全員無事です。

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